Tuesday, September 30, 2008

修羅場

今日は前期卒業式でした。S君、卒業おめでとう!

それはともかく、今週は修羅場である。来週月曜日スタートの歴史博物館の特別展の準備が大詰めだし、それに加えて4回生は来週、卒論中間発表である。疲れてきた。

今日も9時半まで展覧会の準備。途中でS君も合流して、祝卒業の乾杯をしたり、ピザを食べたりしながら、作業を進める。ムービーのレンダリングに時間がかかるので、手を動かす時間より口を動かす時間の方が長くなってきた。

Friday, September 26, 2008

図録用画像3点

しばらく身動きがとれないうちに展覧会の図録の〆切になってしまったので、今日あわてて、これまで皆で作ったオブジェクトを集め、風景っぽいのを作ってみました。

まずは、発掘現場を北西方向に眺めた眺望。向こうに見える山並みは、仁和寺とか龍安寺とかがあるあたり。


母屋(建物1)を南西側から見たらこんな感じ。右側の山は比叡山。カメラの設定がよくわからなくて、地面が切れてしまった(涙)。


建物5と甕据え付け穴があったあたりを西南西から。比叡山は左に寄ってます。影をつけるのを忘れた (^_^;;

Thursday, September 18, 2008

後藤先生大活躍 (2) 正倉院文書データベースと「復原」

後藤先生の論文「正倉院文書データベースと「復原」――情報化によって見えてくるもの」が『アジア遊学』113号に掲載されています。後藤先生が情報歴史学研究室に1冊、寄贈して下さいました。感謝!

正倉院文書データベースの作成を通じて、従来の正倉院文書に対する「常識」が変わる(かもしれない)というのが、副題の「情報化によって見えてくるもの」の意味。もし本当にそうなれば、情報歴史学が成し遂げた独自の大きな成果ということになるでしょうね。

全員読め!

後藤先生大活躍 (1) 「正倉院文書データベース」(SOMODA)の設計思想

後藤先生の講演についてはデジタル情報技術が拓くアーカイブズの可能性で紹介したばかりであるが、また情報が飛んできた。今度は9月24日に東大で開かれる連続セミナーでの講演:
後藤先生は「「正倉院文書データベース」(SOMODA)の設計思想」という題で講演される模様。ひっぱりだこです (^_^;;

Wednesday, September 17, 2008

デジタル情報技術が拓くアーカイブズの可能性

告知が遅くなったが、こんなイベントがあります:
これの2番目に、後藤真先生が「デジタルアーカイブ」と記録資料 —"正倉院文書データベース"と近代史料のデジタル化を通して—」という題で発表するみたいです。会場が学習院大学ということで参加は難しいですが、また後藤先生に土産話を聞かせてもらいましょう (^_^;;

ちなみにコメンテーターはARGの岡本さん。

追記(10/4):今さらながら岡本さんのエントリにリンクを張っておきます。→2008-09-28(Sun): 10月4日(土)、日本アーカイブズ学会へのお誘い@学習院大学 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版

Tuesday, September 16, 2008

山を作った。

色は適当。

ますます重い…。メモリ4GBでも重い…。もっと高スペックなマシンが欲しい…。

cf. Google Earthから地形のポリゴンを抽出する方法は、Google Earthの画像から地形を作成(Stampツール) - SketchUp (r)を楽しむを参考にしました。

Friday, September 12, 2008

仮組み

今日は、とりあえず、できたのを並べてみた。

重い。

Tuesday, September 09, 2008

今日の成果

建物1(母屋)に屋根がかかった。影がつくと、ちょっとそれっぽい。

ほかにも展覧会での展示にむけていろいろ準備を進める。

Sunday, September 07, 2008

「隠し撮り」の本当の問題

今回の場合、「隠し撮り」が問題だというよりも - 宮本大人のミヤモメモは、所謂“デジタルアーカイブ”を考えるうえでも示唆に富むエントリである。大阪府の橋下知事が、大阪府立国際児童文学館の「実態」を調査するために、私設秘書にビデオカメラを持たせて隠し撮りをした、という話である。

この話を聞いて、ほぼ毎年ゼミで読んでいる新谷尚紀「映像民俗誌論—『芸北神楽民俗誌』とその制作の現場から」(『民俗学の資料論』、吉川弘文館、1999)を思い出した君は鋭い。



この論文では、ビデオなどによる撮影や編集の恣意性の問題――ひっくり返して言えば、カメラに写ったものはありのままの「事実」であると考えてしまう、カメラの透明性の問題――を様々に論じているものである。この論文では「隠し撮り」はむしろ(倫理的に問題があるにせよ)恣意性を排除する方法のひとつとして論じているが、上の宮本氏のエントリでは、隠し撮りであっても撮影者の恣意姓を排除できないことを指摘しており、新谷氏の論文を補強するものであるだろう。