それはともかく発表内容はというと、
- 早乙女雅博(人文社会系研究科)「高句麗古墳壁画の模写資料」
- 馬場 章(情報学環)「文化資源統合デジタルアーカイブの試み」
- 石川徹也(史料編纂所)「学術活動成果の集積としての知識データベース」
花園大学 文学部 史学科/文化遺産学科 情報歴史学コースと情報歴史学研究会のためのブログ。コンピュータを利用して歴史学およびその周辺の領域をハッピーにできないかという目的のために日々、教育と研究に右往左往しているが、その途中経過を一部、白日のもとに晒してしまおうという自虐的な試みだったりする。
筆者の考える情報歴史学は、まず第一には、歴史学のある研究分野の方法論や伝統について分析し、それをコンピュータを使って記述する(≒データベースを作成する)という学問である。それは、対象となった研究分野の研究者から見ればツールが提供されたように見えるだろう。しかし、データベースとして表現された方法論や伝統が暗黙のものであった場合、それが視覚化されることによって新たな議論、すなわち方法論的な反省が発生する契機となる場合もあろう。それをふまえて第二には、従来の研究方法を相対化できるような新しい方法を模索し、それによって歴史学の研究を行うことである。以上のことから、筆者は、情報歴史学は補助学ではないと考えている。私が書いた記事以外も(の方が?)おもしろいので(横山先生のはなんとパンチカードから!)読んでみてほしい。
ある日の3回生ゼミで、こんなやり取りがあった。周りの景観も含めてキトラ古墳を3DCGで再現しようと考えているゼミ生に「キトラ古墳って、実物を見たことある?」と聞いたら、見たことがないという。また、丹波国分寺の復元を考えているゼミ生に「(丹波国分寺と同じ伽藍配置の)法起寺って、行ったことある?」と聞いたら、行ったことがないという。近いようで遠いような微妙に行きづらいところとは言え、やはり現地を見ないことには再現とか復元とかを云々することはできない。その場で「じゃあ、皆で行くか?」ということで、その場で遠足が決定した。
法隆寺ICを降り、法隆寺をスルーして最初の目的地である法起寺に到着。法隆寺と比べると未整備な感じで、我々以外の観光客もいないが、法隆寺などとセットで世界遺産に指定されている。
続いてはキトラ古墳。途中、耳成山や畝傍山が見えて、飛鳥に来た気分になる(万葉集が自然と口をついたりすると格好いいのだが、などと、こういうときにはよく思う)。
最後の目的地は、奈良文化財研究所の飛鳥資料館である。ここでしか買えないキトラ古墳関連の図録などがあるので、件のゼミ生は大人買いモードである。フィールド調査で得た映像・文書・その他の資料を「マルティメディアの民族誌」として編集することをめざしたが、時間等の制約もあって実験的な試みにとどまっている。とのことであるが、現在も模索されているオンライン民族誌のご先祖にあたるとも考えられ、研究史的に興味深いだろう。
有史以来コンテンツを表現し続けてきた「書物」をあらゆる情報の基本単位として捉え、電子化された図書を分類・格納する様々なテーマ別の「本棚」を「道」 「界隈」「広場」などの中に配置してバーチャルな"街"を構成するというものです。図書館の分類とは異なり、図書同士、本棚同士が横のつながりを持ち、文 脈をもった本棚を形成するというものです。というもの。図書に限らず、何かを分類したり整列したりするというのは、それをする人の世界観の表現であったり、社会的な心性の表象だったりする(整列のことを英語でorderというが、この単語には「秩序」とか「階級」とか「命令」といった意味もある)。例えば、辞書の項目がabc順とかあいうえお順で並んでいるのは、辞書の歴史をふりかえればone of themに過ぎない。