Monday, April 02, 2007

「美濃部家屋敷図」の出典など

情報歴史学研究室: 【講義メモ】コンピュータで遺跡を復元するで紹介した藤井君のCGについて、明石観光協会から問い合わせがあった。なんでも、明石の歴史について勉強されているボランティアガイドの方がこのブログを見て、どのような資料を使ったのか知りたいと観光協会に問い合わせをされた由。藤井君に代わり、観光協会の方には電話でご連絡をしたが、ブログでも答えられる範囲でお答えしたいと思う(以下の情報は藤井君の卒業論文に基づくものであり、このエントリを書くにあたって当該文献や明石市立文化博物館等を直接(再)確認しているわけではないので、そのあたりはご了承いただきたい)。

「美濃部家屋敷図」の出典

明石市立文化博物館『発掘された明石の歴史展―明石城武家屋敷跡―』(明石市立文化博物館、1996年)に掲載。

「美濃部家屋敷図」に東西南北の表示はあるか?

あります。

「美濃部家屋敷図」から敷地の広さ、縦横の長さなどはわかるか?

大雑把な情報は得られるが、正確な数値はわからない。CGを作る際には、発掘調査報告書などを利用している。いくつかあげると:
  • 明石市立文化博物館『明石市明石城武家屋敷跡 I』第1分冊(明石市教育委員会、1994年)
  • 兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所『明石市明石城武家屋敷跡』第109冊(兵庫県教育委員会、1992年)
  • 稲原照嘉「明石城の発掘調査」(『信濃』第52巻第10号、信濃史学会、2000年)
  • 前掲『発掘された明石の歴史展―明石城武家屋敷跡―』

建物の高さの推定

「美濃部家屋敷図」は平面図であるため、これからは高さなどは推定できない。しかしながら、幸いにして昭和初期の写真が残っており、塀の高さなどについては大まかに知ることができる(前掲『発掘された明石の歴史展―明石城武家屋敷跡―』所収)。それ以外には、現存する同時代の武家屋敷や、“建築指図”と呼ばれる史料(設計図みたいなもの)などから推定している。

この例に限ったことではありませんが、一般に「復元」と言っても、各種史資料を研究者が解釈し、多分に恣意を交えて構成したものであるということをご理解いただければ幸いです。

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