Tuesday, September 26, 2006

国際シンポジウム「アーカイブスの新指向」

後藤真先生からのお知らせ。

大阪市大の21世紀COEプログラム「都市文化創造のための人文科学的研究」が、国際シンポジウム「文化遺産と都市文化政策」を開催するが、その分科会として「アーカイブスの新指向」というシンポジウムが開催される。

9月30日 国際シンポジウム分科会(会場:大阪市立大学・杉本キャンパス・全学共通教育棟)
「アーカイブスの新指向」 / 13:00-17:00 830教室
入場無料
  • 鈴木卓治(国立歴史民俗博物館)
    「歴史資料のデジタル化に関する経験—歴史資料のデジタルアーカイブを考える手がかりとして—」
  • 松村寛一郎(関西学院大学)
    「The Concept of Future Facts Book—持続する地球の実現にむけて—」
  • 森洋久(大阪市立大学)
    「大阪とアジアの都市文化情報システムの試み」
  • 後藤真(大阪市立大学COE研究員)
    「上田貞治郎写真コレクション—都市文化とデジタル・アーカイブ—」
森洋久さんは、授業でもとりあげた(はず)GLOBALBASEの開発者ですね。

Thursday, September 14, 2006

鈴鹿関のGIS化

yaaさんの宮都研究:鈴鹿関報告-8 GIS化への過程をお楽しみ下さいの条が興味深いので(その前後の記事もあわせて)是非読むべし。発掘調査と平行しながらGIS化がされているのであるが、そのライブ感がブログの簡単な記事だけでも伝わってきて感動的。

山田先生の平安京閑話: 鈴鹿関を睥睨する、の巻経由。感謝。

GIS化においては、航空写真を貼付けてるみたいですね。よくやるテクニックです。

Tuesday, September 12, 2006

国の記憶装置としてのデジタルアーカイブ

以下のような興味深いイベントがある。東京での開催だが、リンクを貼っておこう。

情報知識学会 月例懇話会 (2006/09)
講師:国立公文書館アジア歴史史料センター・主任研究員
   牟田昌平氏
題目:国の記憶装置としてのデジタルアーカイブ
   —アジア歴史史料センターと公文書館デジタルアーカイブの経験を踏まえて—

Saturday, September 09, 2006

【講義メモ】コンピュータで遺跡を復元する

京都の大学「学び」フォーラム2006という受験生向けのイベントで、「コンピュータで遺跡を復元する」という題のミニ講義をしてきた。せっかくなので、どんな講義をしたか、簡単にメモしておこう(ちゃんとしたメモを残しているわけではなく、記憶で書いているところがあるので、その辺はご容赦されたい)。

花園大学・文学部・史学科・情報歴史学コースでは、コンピュータを使った様々な歴史研究に取り組んでいる。皆さんがコンピュータを使った歴史研究と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、コンピュータグラフィックスで再現した古代の遺跡などではないだろうか。もちろん、情報歴史学コースでやっているのはそれだけではないが、一つの例としてコンピュータで遺跡を復元することの楽しさ、難しさについて紹介したいと思う。

なぜ復元するのか

コンピュータでの復元を考える前に、なぜ復元するのか、という問題について考えてみよう。我々は、博物館に行って復元模型を見たり、NHKの番組などでコンピュータグラフィックス(CG)による遺跡の再現などをよく目にするし、それについて疑問を持ったこともないだろう。しかし、復元模型などがそもそも何を目的にしているのか、どういった背景で行われているかをきちんと考えないと、ちゃんとした復元もできない。

失われてしまった遺跡や遺物を模型やCGなどを使って復元する理由としては、一般に次のことが言われている。
  • 可視化による仮説形成
  • 文化財の保存と公開
一つ目の「可視化による仮説形成」の中の「可視化」というのは、「見えないものを見えるようにすること」である。ここで言う「見えないもの」というのは、だいたい次の3つがある。
  • 普通は見せないもの
  • 事実上見られないもの
  • そもそも見えないもの
    • 存在しないもの
    • 見えないもの
「普通は見せないもの」というのは、例えば建築物の屋根裏や床下などのことである。建築技法に興味がある人にとっては是非見てみたい部分だったりするのだが、そういう部分を普通は見せないし、見せたとしても見えにくい部分である。だから模型などで見えやすくする。

次の「事実上見られないもの」というのは、例えば遺跡や遺物の断面などである。もちろん、物理的には国宝をまっ二つに割ってしまうこともできるのだが、実際には無理な話である。あるいは、二つの古墳を横に並べて上から見るというのも、絶対に無理とは言わないが、やはり事実上無理な話である。もともと金ピカだった奈良の大仏を、もう一度金ピカにしたいと言っても、東大寺のOKは出ないだろう。だから模型などを作って身代わりになってもらうのである。

最後の「そもそも見えないもの」には「存在しないもの」と「見えないもの」をあげているが、前者は完全に失われてしまった遺跡や遺物などのこと、後者は温度や湿度などのような視覚的ではないもののことである。左の図は、文書が似ているか似ていないかを、文書どうしを結びつけているバネの力の違いで表現したもので、四角が文書、赤い線がバネを表している。似ているどうしは強いバネで繋がっているので自然と近づくから、どの文書とどの文書が似ているか、グループを作っているかなどが直感的にわかるようになっている。

次の「仮説形成」というのは、簡単に言うと研究のアイデアを発掘することである。例えば、断面を見たり、二つの遺跡を並べて見たり、バネでつながった古文書を見たりすることで、新しい研究のアイデアが浮かんだりする。また、研究者じゃなくても、抽象的だったり訓練が必要だったりすることが直感的にわかったりするようになる。これが可視化の大きなメリットである。

もうひとつの「文化財の保存と公開」というのは、文化財の保存と公開というものが往々にして矛盾する、ということからきている。なぜ矛盾するのか? 文化財を修復したり展示をしたり公開をしたりするときには、壊れたり劣化したり無くなったりするリスクを常に抱えている。光を当てると変色したりするし、運搬する際には落とす可能性がある。修復する際には、逆に作業者が破壊してしまう可能性もある。古い建築物であれば落書きをされる可能性だってあるし、「美しすぎるから」と言って放火をする人も(ごくまれにだが)いる。保存ということを考えると、下手に修復したりしないほうがいいし、公開もしない方がいい。でも、税金などで運営している博物館が展示を一切しないというのもおかしな話だ。

(※ さらに深く考えると、そもそもなぜ保存するのか?という問題に直面するが、ここではとりあえず棚上げにしておく。)

そこで模型やCGなどによる復元や複製が大きな意味を持ってくる。模型などの場合は、博物館の来場者に触ってもらうこともできるし(ハンズオン・ミュージアムなどと言って、特に子どもたちの博物館学習などに)、コンピュータ技術を使ったものはデジタル・アーカイブなどと言われ注目されている。土器のかけらをつぎはぎにしたものを恐る恐る見せるよりは、最初から作り直した「新品」や、壊れる心配のないCGを見てもらう方が、見せる方も見る方も心置きなく文化財(に関する知識)に接することができる。

なぜコンピュータを使うか?

では、なぜコンピュータを使うのだろうか? それはデジタルデータの場合、
  • 修正が容易
  • 加工(応用)が容易
  • 配布が容易
というメリットがあるから、というのが、よく言われている。最新の研究成果が出た場合にはすぐに修正することができるし、一度作ってしまえば商用の製品に転用(例えば、復元した城のCGを映画で使ったり、など)も容易だ。また、インターネットを通じて、全世界の人に見てもらうこともできる。

もちろん、これらのメリットは、逆にデメリットにもなり得る。例えば、しようと思えば、容易に著作権を侵害することができる。またそれ以外にも(後に述べるように)質感などはどうしても他の復元方法に負けてしまう。

どうやって復元するか

復元の際には、以下のような様々な史資料を駆使する。
  • 発掘調査(の報告書)
    • 実測図
    • 遺物
  • 古文書などの文献史料
  • 指図・絵図・古地図・写真
  • 現存する同種の遺跡・遺物
この中で一番信頼できるのは、復元する対象と直接つながっていたもの、例えば建築物であれば発掘調査で見つかった建材、柱の礎石など、文書や絵画、土器などのモノであれば見つかった断片などである。これの大きさや材質について正確に記述した発掘調査報告書は、復元の際の根本史料となる。

しかしながら、これだけですべてを復元するのは困難なので、他の史料も駆使する。復元したい対象について書かれた文献は、史料の性質に注意する必要があるとは言え、貴重な情報源だ。また数は少ないが、建築物などであれば設計図に相当する指図があれば便利だし、絵図、古地図、新しいものでは写真なども重要な参考資料になる。復元したい対象について直接書かれた文献や絵図などがない場合には、同じ時代、地域の同種の遺跡、遺物を参考にしながら復元をしていくことになる。

復元の難しさ (1)

しかしながら、復元には多くの困難が伴う。その中の一つが、史資料の使い方ひとつで様々な復元案が可能になる、という問題である。この問題について考えるために、安土城天主の復元案をざっと見てみよう。

安土城はご存知の通り織田信長が建設したものの、死後3年あまりで失われてしまった城である。織田信長という有名人の城であるためか、その復元は多くの関心が寄せられてきた。

数ある安土城の天主(天守閣)の復元案で最も有名なのは、内藤昌氏の説である。内藤氏の説に基づく復元CGや模型は、以下のところで見ることができる。
内藤氏の説は、安土城天主の内部が4階分ぶちぬきの吹き抜けとなっており、その上には空中能舞台とでも言えるようなものがあった、などという、ちょっと聞くとエキセントリックな説である。ただし、改革者、異端者という織田信長のイメージがあるためか、このようなエキセントリックな説も受け入れられているようにも思われる。

しかし、有名な説であるということと、「正しい」(歴史学に「正しい」はあるのか、という問題はとりあえず置いておいて)説であるかというのは、まったくべつのことである。実際、内藤説を批判した宮上茂隆氏の説をはじめ、最近のものだけでも西ケ谷泰弘氏、森俊弘氏らの説がある。このように説が乱立するのは安土城の知名度のなせるわざと言えるだろうが、復元の難しさを如実に語っていると言えるだろう。

復元CGの実例の紹介

では、実際にどのような手順で復元CGを作っていくのか、簡単に見てみよう。ここでは(会場が灘の神戸市立科学技術高等学校ということもあるので)明石城の武家屋敷を3D画像で復元したという例を紹介したい。これは、この3月に花園大学を卒業した藤井啓太君が、卒業論文のテーマとして実際に作成したものである。

明石城は、できて間もない徳川幕府が、西国外様大名に備える拠点として交通の要衝である明石に建設したもの、とされている。JR明石駅の北側に降りると堀と白い壁が見える。城下町は、一説には宮本武蔵が設計したとされ、往時の様子は「明石町旧全図」(文久三〔1863〕年)などから推測することができる。

藤井君が復元に取り組んだのは、明石藩の家老であった美濃部家の武家屋敷である。この武家屋敷には、珍しく「美濃部家屋敷図」という図面が残っており、復元をする際のまたとない参考資料になる。上に「珍しく」と書いたが、なぜ珍しいのかわかるだろうか? その理由は、城や武家屋敷が、単なる住居ではなく軍事施設でもあったからである。所謂『忠臣蔵』で、吉良上野介の邸宅の図面を大工の娘をたぶらかして?盗み出すという場面があるが、あれも武家屋敷の軍事施設の側面を物語っていると言えるだろう(ちなみにこの譬え話は、高校生には理解してもらえなかったが、幸い年配の人〔保護者?高校の先生?〕にはウケた)

実際の作業においては、まず「美濃部家屋敷図」をスキャナーで読み取る。デジカメで撮ってもいいのだが、レンズの周縁部分にゆがみが生じるので、撮影する場合には余白を十分にとらなければならない。今回のように、あまり大きくないものはスキャナーで読み込むことが多い。

これに3D画像作成に便利なように赤線を引き(図)、この線に従って柱や塀を建てていけば、一通りのCGは完成する。

(このCGは藤井啓太君の著作物である。再利用の際には、以下のライセンスを守って頂きたい。「営利目的での使用は認めません。再配布は許可します。改変を行う場合は作成者の許可が必要です。改変を行う場合は下記の連絡先〔連絡先は省略〕にご連絡下さい。」〔卒業論文に添付されたCD-ROMのREADME.txtより抜粋〕)

復元の難しさ (2)

このように書くと簡単そうであるが、実際の作業においては様々な困難に遭遇する。

一番最初に遭遇するのは、高さをどれくらいにするか、という問題であろう。発掘調査で出てくるのは建物がなくなったあとの平地であるし、図面もやはり上から見た形しか残っていない。柱が残っていたりすれば別だが、ない場合は現存する他の武家屋敷やその他の史料などからおおよその高さは推測できるものの、正確に何センチだったか、というところは最終的にはわからない。復元する人の決め打ちになる。武家屋敷以外でも、例えば前方後円墳などは推測しやすいようだが、寺院などを復元する際には、塔が三重だったのか五重だったのか七重だったのか、というところを判断するのがとても難しい。

また、武家屋敷のような建築物の場合、それ自体を復元するだけでなくその周りの環境や景観を復元したくなってくるが、それがまた非常に困難を伴うものである。現在の我々が見ている風景が、江戸時代とまったく同じということは決してない。生えている植物ひとつとっても、江戸時代には存在しないもの(外来種など)や、あり得ないあり方(植え方、手入れの仕方)などを考慮に入れなければならない。景観まで念頭に入れると、復元という作業は非常に広範な歴史学的知識が必要となってくるのである。

同じように、壁などの色、建具、内装、調度品などについても、復元する際には見える部分はすべて作らなければならないのが、復元の難しさである。例えば藤井君の復元CGでは、障子が現在のような上から下まで紙が張っている障子にしているが、当時は下半分が板張りの腰高障子であった可能性もある。このあたりも、様々な史料によってある程度は判断できるが、最終的には制作者のエイヤッという気合いで乗り切るしかない。

3DCGの難しさ

さらに、CGという方法の限界、問題点もある。

先にも述べたが、質感や雰囲気などは、現在の技術ではどうしても模型や実世界のものには負けてしまう。例えば明かりの問題。基本的に昼間は太陽光、夜も囲炉裏の火やロウソクのようなもので暮らしていた人々の住居は、昼でも蛍光灯が光っている現代人の感覚からすればかなり暗かったはずだ。ところが、その原則に基づいて3DCGを作成すると、真っ暗な画像ができあがってしまう。そこでCG制作者はたくさんの光源をあちこちに配して見やすくするわけだが、それは果たして「復元」と呼べるのだろうか?という疑問が出てくる。世にある復元CGは、当たり前だがはっきりと室内が見渡せるようになっている。つまり、ウソの光がたくさん仕込まれているのである。

また、3DCGの制作に多大な時間がかかる点も無視できない問題である。コンピュータの動画(の一部)は、映画やテレビなどと同じように静止画を高速に切り替えて実現しているのだが、その一枚一枚の静止画をフレームと呼ぶ。1フレームをコンピュータが描画するのに1分とし、映画と同じ24フレーム/秒とすると、たった1分のムービーを作るのにも60×24=24時間かかるということになる。ハイクオリティな劇場映画の場合だとさらに負荷は大きく、シュレックという映画の場合には、1フレームに約1時間、つまり1秒のシーンを作るのに丸一日かかるという計算である。もちろん、たくさんのコンピュータを並列して使ったりして、こんなに時間がかかることはないが、それでも膨大な時間がかかってしまうことは間違いない(藤井君の場合も、締切がある卒業論文の一環であったため、時間のやりくりには結構苦労したようである)。

最後に

以上のことは、3DCGによる復元をめぐる問題のごく一部であるが、それでも制作時の雰囲気、特に復元という行為の「いい加減さ」についてわかってもらえたのではないかと思う。花園大学の情報歴史学コースでは、世にある3DCGなどを見ても鵜呑みにしないリテラシーを身につけ、また実際にコンピュータを使って様々な研究をしたり、作品を作成したりしている。文系だからコンピュータは苦手、という人もいるかもしれないが、藤井君も3回生になってゼミに入ってから3DCGの勉強を始め、(色々ケチをつけたあとでこういうのも何だが)こんなに立派な作品を完成させることができた。興味のある人は是非、いっしょにやりましょう。

Saturday, September 02, 2006

Google、古典作品をPDFでダウンロード公開

1ヶ月以上、間が空いてしまったが:

ITmedia News:Google、古典作品をPDFでダウンロード公開

人文科学にとって、これは大きなニュースだろうと思う。

授業の中でもとりあげたが、Googleがやろうとしていることは、これまでにないやり方でインターネット上での知の表現を実現であり、情報歴史学的にも無視できない。なぜなら、高度な(高度じゃなくてもいいけど、それなりに複雑だったり量が多かったりする)歴史学上の知識を、コンピュータを利用してユーザーにいかに伝えるかというのは、情報歴史学の大きなテーマの一つだからだ。

と言うことで、下の本がよくまとまっているので、是非読んでほしい: