それはともかくゼミナールであるが、興味深かった点を列挙しておくと、
- 博物館に来る人は、必ずしも知的な学習を求めているわけではなく、人とのつながりを求める(デート? (^_^;;)/非日常的な体験を求める/自分探し等々のために来る人もいる。典拠はこれ:
- 展示者の意図とは違うところで客が満足することもある=インタラクティブ・ミスコミュニケーション(橋本裕之「物質文化の研究」〔『民族学研究』62-2〕)
- 展示される側からの異議申し立て→展示される側の展示作業への参加
- 「展示と来館者をつなぐ」というタイトルの講演だったためか、「展示される側」の視点はちょっと曖昧だった気もする。
- 展示する側(博物館や研究者)/展示される側/展示を見る側の三者がモノの価値づけ、解釈、記憶の付与に平等に参加できる場としての博物館。
- もし「平等」を追求するのなら、博物館という価値づけのシステムの存在自体がある限り、展示する側と展示される/見る側との非対称はどんなに工夫しても解消されないように思う。それを隠蔽して(博物館を自明のものとして)「平等」を目指すより、博物館の権力性を可視化する方がいいような気がするが、いかがだろうか?
- ちなみに、民族誌において似たようなことを目指している川村清志さんらのチームの活動は参考になるだろう(最近の成果だと、じんもんこん2007の岩谷洋史・川村清志・星野次郎・行木敬・大崎雅一・森下淳也「人類学研究支援環境DWB による調査資料の詳細化と客観化―部分と全体の視点を許容するDWB―」など)。情報歴史学研究室: 電子メディアを飼いならすも参照。
ゼミナールの後、常設展示や企画展「世界を集める−研究者の選んだみんぱくコレクション」でPSPを使った閲覧支援システムを体験する。常設展示における「動画も見られる音声ガイドの拡張版」としてのPSPはなかなかよいと思ったが、企画展の方のPSPは正直、必要性を感じられなかった。情報歴史学コースでも携帯電話を使った閲覧支援システムを作った時があるし、今度はiPod touchを使って作ってみようかな、なんて考えていたのだが、改めて難しさを痛感する。
帰りしな、珍しく?黒山の人だかりができていたので、何だろうと思ったら万博記念公園では今日からライトアップらしい。
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